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ハモコミ通信2021 1月号

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清々しい年明け。なんと素晴らしいことでしょう! 2021年、素敵な1年にしていきましょうね。

年始特別号、ちょっと長いですが、とても良いお話なので、よろしければお付き合いください。


 

◎スポーツジャーナリスト増田明美さんの記事より抜粋

 

(前略)

<人に罵(ののし)られ、人に励まされ>
 素晴らしい師匠と環境に恵まれ、高校で上げた実績に十分満足した私は、卒業と共に陸上競技を引退するつもりでした。ところが、2年後に開催予定のロサンゼルスオリンピックで、女子マラソンが正式種目になることが決定。私は滝田先生(成田高校時代の恩師)と共に川崎製鉄(現・JFEスチール)へ進み、メダル獲得を目指して競技生活を続行することを決意しました。
 体の小さな私が世界と戦うには、走行中の歩幅1ミリでも広げる必要がありました。私はそのため、毎日どんなきつい練習の後でも腹筋を3000回行いました。もっと効率的な練習法もあったでしょう。けれどもあえてそうした無謀とも言える練習を自分に課し、それをやり抜くことで自信を得たかったのです。苦しい道と楽な道があれば、苦しい道を進むほうが成長できるという歴史書から学んだ教訓も、私の支えになっていました。
 そうして人生のすべてを懸けて臨んだオリンピックでしたが、結果は惨敗。16キロで途中棄権してしまったのです。暑さ対策の失敗など理由を挙げれば切りがありませんが、突き詰めて言えば、自分の弱さこそが一番の敗因でした。
 スピード自慢でいつも先頭を走っていた私には、人に抜かれた途端にダメになる心の弱さがありました。自分の無様(ぶざま)な姿がテレビで大勢の人目に晒(さら)されることにも耐えられませんでした。マラソンは2時間余りの間に自分のすべてが出てしまう競技です。プレッシャーに負けて途中棄権してしまう自分。それこそが紛れもない当時の私の姿でした。
 帰国した私を待っていたのは、「非国民!」という罵声でした。
 周りからは潮が引くように人が去り、マスコミは連日バッシングを繰り返す。どうしたら楽に死ねるだろう......。私は会社の寮に閉じこもり、そればかりを考えていました。
 けれどもそんな私のもとに、温かい励ましのお便りが続々と届いたのです。70歳過ぎの男性が便箋10枚にわたり綴ってくださった、ご自身の人生を交えての励まし。「明るさ求めて暗さ見ず」と大きく書かれたお葉書。非国民と罵声を浴びせるのも人ですが、苦しんでいる自分を慰め、励ましてくれるのも人でした。人が怖くて外も歩けなかった私は、人の優しさに救われ再び立ち上がる勇気をいただきました。
 その後、オレゴン大学へ陸上入学する機会をいただき、そこで出会ったコーチには、「明美が練習する姿を見ていると辛くなる」と指摘され、「よい結果というのは、自分が生きていてハッピーだと思った時についてくるものさ」と教えられました。
 それまでの私は、よい結果を出したいといつも自分のことしか考えていませんでした。けれども一緒に練習する仲間たちは、人を喜ばせたいという思いでイキイキと走っていて、皆、人としてとても魅力的でした。オレゴンにいた2年間、私はそんな仲間に感化されて笑いを取り戻し、走ることを心底楽しめるようになったのです。
 オリンピックから4年後に臨んだ大阪国際女子マラソンでも素敵な出会いがありました。「増田、おまえの時代は終わったんや!」という心ない野次に負けそうになった時、後ろから走ってきた市民ランナーの方々が、次々と声を掛け、肩を叩き、「一緒に走ろう」と励ましてくださったのです。私はそんな優しい人々の後ろ姿に導かれて完走し、ロス五輪で止まったままの時計の針をもう一度前へ進めることができたのです。

<ありのままに自分の言葉で>
 1992年28歳で引退し、第二の人生をスポーツライターとしてスタートしました。半年後にラジオのパーソナリティのお声が掛かり、挑戦することに。ところが最初は「結納(ゆいのう)」を「けつのう」、「門松(かどまつ)」を「もんまつ」などと幼稚な読み間違いを重ね、リスナーの方から小学生用の国語辞典が送られてくる始末でした。そんな私がいま、スポーツ解説やナレーションなどで活躍できるようになったのは、永六輔さんのおかげです。
 同じ局で番組を持っていらっしゃった永六輔さんは、失敗を繰り返して落ち込む私を気に掛け、いろんな話を聞かせてくださいました。永さんの語りが大好きだった私は、「どうすれば永さんのように、風景や匂いが伝わるような話ができますか?」と聞いてみました。その時永さんからいただいたアドバイスは、いまも私の仕事のベースになっています。
「自分が会いたい人、興味のある事柄については現場に行きましょう。五感で感じたことを、ありのままに自分の言葉で話すといいですよ」
「取材というのは材を取るって書くでしょ。だから人前で話す時は、元になる材料を仕入れておかなければいけません」
 1993年に初めて世界陸上の解説という大役をいただいた時、私はそのアドバイスをもとに、事前に出場選手を徹底取材して得た情報をフルに活用して本番に臨みました。
 それをご覧になった永さんからいただいた「増田さんの解説は金メダルだ」という言葉は、一生忘れることはありません。「選手である前に人である」という信念をもとに、競技のことだけでなく選手の人柄や人生にもスポットを当てる私の解説スタイルは、その時に定まりました。

<誰もが人生の長距離ランナー>
 こうして改めて振り返ってみると、私の20代は失敗の繰り返しでした。では、失敗を恐れてオリンピックに出場しなければよかったか、ラジオの仕事を受けなければよかったかというと、決してそうは思いません。前向きにチャレンジしたことは、たとえ失敗してもすべて栄養になり、いまの私を支えてくれているからです。
 オレゴンでコーチから教わったように、物事に挑戦する時はハッピーなエネルギーを持って臨むことが大切です。オリンピックでメダルを取る人は皆、大舞台を楽しんでいます。やるだけのことはやったと納得できる努力を重ねたからこそ、あとは楽しもうという境地で本番に臨めるのです。(後略)
 

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<コメント>

人間学を学ぶ月刊誌「致知(ちち)」というのが愛読誌の1つとなっており、今回の記事もその中から選ばせていただきました。
本当は全文掲載したいくらい素晴らしい内容でした。
ますます増田明美さんのファンになりました。
彼女の現役時代を知る者として、その変身ぶりは本当に驚くばかり。人はその内側に大いなる可能性の種が潜んでいて、芽吹き開花結実を待っているのだ、と確信させてくれます。
記事の中には様々な教訓が読み取れますが、2つピックアップしてみました。
その1、ものごとがうまく進まない時には、ガラリと環境を変えてみる、これまでと違った人達と付き合ってみる、ということが効果がありそう。
その2、新しいことを始めるには、ー衙椶箸覆觧嫋的存在を見つる、△修凌佑里笋衒を素直に聞く、真似る、しり返し実践し改良を重ねる、という流れが良さそう。
更に、私達には、周りの人を励ますために出来ることがたくさんあることに気づかされました。
例えば、70歳過ぎの男性のように、励ましの手紙を送ること(メールでもいいと思います)。オレゴン大学のコーチのように、明るい方向へ導くアドバイスを送ること。市民ランナーのように、近くにいて共感し、温かい言葉をかけてあげること。永六輔さんのように、先輩として愛情あふれるアドバイスをしてあげること。
そのようなことによって、もし、相手の心がほぐれ、とてもいい気持になるとすれば、その映し鏡のように、自分の心も朗らかになることでしょう。
コロナ禍の閉塞感で、心がモヤモヤして晴れない、心がザワつく、という方も少なくないようです。
矢印を自分向きにしていると(自分のことばかり考えていると)、どんどん暗くなっていくかもしれません。
ひとまず自分のことを放っておき、どうやったら周りの人で同じように困っている人を元気づけることができるだろう、と矢印を相手に向けることも、現状を一歩前へ進める1つの方法のように思います。


東日本大震災から今年で10年、明るく、仲良く、喜んで働きましょう。
コロナ禍にあっても、明るく、仲良く、喜んで働きましょう。
オリンピックがあろうとなかろうと、明るく、仲良く、喜んで働きましょう。
誰もが人生の長距離ランナー、明るく、仲良く、喜んで働きましょう!

2021.01.05:[ハモコミ通信2021]

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